晴れた日は自転車に乗って出掛けよう

70代半ば爺さんの自転車散歩・ちょっと頑張ったサイクリングの備忘録&時々音楽

川越 「成田山別院の節分会」ポタ

今日は節分、では邪気を追い払いに行こう

千葉の「成田山」には行けないので、川越の「成田山別院の節分会」を見に行くことにする。

では、自宅を10時過ぎに出発です。

昨日ほどではないものの、今日も北風が強いのである。

川越に到着し、まだ時間が早いので「川越水上公園」に行くこととしよう。

「初雁橋」からは「富士山」も良く見える。

「水上公園」を一回り、カモに餌を撒く「おば様」の周りは「カモだかり?」

今日はもう一か所行きたい所がある、それは「河越館跡史跡公園」なる場所。

「川越橋」を渡って行くとあるらしい。

入間川に架かる「川越橋」の親柱の写真、反対側は  

同じだ。

渡って直ぐ先でした。

「館跡」の一部は現在は「常楽寺」になっている。

川越市上戸(うわど)に所在したお城で入間川に位置し、約二町(218m)四方の占地規模を持つ館跡遺跡。

平安時代から南北朝時代まで武蔵国の中で有数の勢力を誇った武士・河越氏の居館跡です。
河越重頼の娘が源義経の正妻になったことからも、中世武家政権を支えた河越氏の勢力が伝わります。
しかし、室町時代の1367(貞治6)年に、鎌倉公方足利基氏が死去すると、河越直重を中心とする平一揆と関東地方を統治する政庁である鎌倉府と対立。ついには、1368(応安元)年に「武蔵平一揆の乱」が起り、平一揆が河越館に立てこもり、鎌倉府に反逆いたしますが、敗北してしまい、これ以降、河越氏は歴史の表舞台から消えてしまいます。

しかし、武士の実態を解明する上で重要な遺跡として、昭和56年12月6日に国指定遺跡となり、河越館跡の保温を図るとともに、郷土学習の場、市民の憩いの場として、平成22年春に史跡公園としてオープンした。(川越観光協会HPより一部抜粋

公園内は、何と・・・何もない更地状態でした。

井戸の跡や、建物があったらしい場所等がある。

ゆっくりとしていると、もう12時50分である。

成田山 別院」の「節分会」は13時からだ、間に合うかどうか?

急いで向かいます。

しかし今日は道路も混み合っている。

スイスイと走り抜けて到着すると13時10分です。

凄い人数が集まっている。

まだ「豆まき」は始まっていないようだ

成田山」には七福神の「恵比須天」も祀ってある。

13時25分頃になると始まりました。

福は内」の掛け声とともに「豆まき」が始まりました。

あっと言う間に終了。

川越 成田山別院 節分会 2015.2.3

さて、「喜多院」に行きます。

そう、こちらも同時刻に「節分会」が行われていました。

来年は「喜多院」にするか?

参道は初詣より混み合っていました。

喜多院」では「だるま市」も開催されていました。

屋台も沢山ありました。

 川越大名焼」150円也をGETする。

いわゆる今川焼大判焼き)ですね。

葵紋」だ!!

時間も13時40分となり、今日の目的の食事場所に向います。

本川越駅前の「ホワイト餃子 はながさ」です。

ここは駐輪場所が無いので、駅前の駐輪場に停めます。

入店し、注文は定番の「焼き餃子12個の590円也です。

1.5人前なのでライスは注文しなかった。

表面はサクッ、中はジューシーで美味しい。

餃子というより小さい「肉まん」か「小龍包」を焼いた感じ?

お腹一杯になりました。

でも、何で「ホワイト餃子」なんだろう?

それは創業者がパイ(白)さんなる中国人の方から餃子作りを教わったかららしい。

食べ終わると14時20分過ぎである。

お気に入りスポットの「八幡宮」に寄る。 

 

 

自分にはあまり関係ないけれど、「縁結びの木」や「恋結び」なるものがあります。

さて帰ります。

帰りは多少の追い風だ。

川越街道~旧川越街道へ、関越沿いに出て、途中のお寺で休憩する。

白梅が咲いていた。

15時40分頃に自宅に帰りました。

本日のポタの走行距離は52.19kmでした。

明日は「立春」だ、早く暖かくなってほしいね!!

遠出も出来るし!