以前にも紹介した曲ですが.....。
「檸檬(れもん)」は、さだまさし作詞(詩)作曲で、1978年3月25日にリリースしたアルバム『私花集(アンソロジィ)』に収録されている。
その後、1978年8月10日にシングル化された。
(シングル盤では渡辺俊幸による新アレンジになっている)
この歌を聴いていると、どうしても思い出す文学作品がある。
梶井基次郎の小説「檸檬」だ。
主人公は京都の街を歩き、丸善に入り、一個の檸檬を手にする。
その鮮やかな黄色に心を奪われ、画集などを積み上げた上に檸檬を置く。
そして、
「この檸檬が爆弾だったら……」
そんな、ちょっと悪戯っぽい想像をしながら、その場を立ち去る。
憂鬱な気分を抱えていた主人公にとって、檸檬は小さな爆弾であり、心を解放してくれる存在だった。
さだまさしは、この文学作品の舞台を京都から東京・御茶ノ水へ移した。
湯島聖堂、聖橋、電車――。
そして歌の中では、二人の青春の時間が流れていく。
印象的なのが、
「喰べかけの檸檬(盗品)聖橋から放る」
という場面だ。
なんとも大胆な青春である。
しかし、この歌は単なる「檸檬を投げる若者の歌」ではない。
後半になると、投げるものが変わる。
檸檬ではなく、
「喰べかけの夢」
なのだ。
檸檬を投げることは、ちょっとした悪戯だったのかもしれない。
でも「喰べかけの夢」を投げるとなると、話は違う。
それは、二人で見ていた夢や、若かった頃の時間を、聖橋からそっと手放すことにも思える。
さらに面白いのが、歌の中に登場する「快速電車」と「各駅停車」。
若い頃は、何もかもが快速電車のように過ぎていく。
恋も、夢も、青春も――。
ところが、青春を過ぎた今になって振り返ると、思い出は各駅停車のように、一つひとつの駅に停まりながら蘇ってくる。
そんなふうにも聴こえる。
さだまさしは、この曲が「白線流し」のように社会現象にならないかという希望と不安を抱いていたという。
もし本当に流行していたら、聖橋の下には、全国から投げられた檸檬が転がっていたのだろうか(笑)。
それはともかく、「檸檬」という曲は、聴けば聴くほど不思議な歌だ。
明るい黄色の檸檬が登場するのに、どこか寂しい。
青春の歌なのに、青春そのものよりも、その終わりを感じさせる。
梶井基次郎の「檸檬」では、一個の檸檬が憂鬱な心を吹き飛ばす「爆弾」だった。
さだまさしの「檸檬」では、その檸檬が、恋や青春や夢の象徴になっている。
そして、最後にはその「夢」まで聖橋から放ってしまう。
若い頃には、何気なく聴いていた歌だった。
けれど、歳を重ねてから聴くと、歌の中にあった「青春の終わり」が、少し違って見えてくる。
あの頃は、檸檬を投げていた。
今は、遠い記憶をそっと眺めている。
そう考えると、「檸檬」は青春の歌というより、
「青春を思い出すための歌」
なのかもしれない。

ここが、さだまさしの「檸檬」の舞台になった風景、今も電車は、あの頃と同じように走り続けている。
久しぶりに聴いた「檸檬」は、昔と同じように爽やかだった。
ただ、その黄色が、少しだけ切なく見えた。
「檸檬(れもん)」/さだまさし
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55.45㎞を示していた。


























いつもの一本を仕入れ、これで今夜も安心(笑)。
37.25㎞を示していた。