晴れた日は自転車に乗って出掛けよう

70代半ば爺さんの自転車散歩・ちょっと頑張ったサイクリングの備忘録&時々音楽

檸檬――聖橋から放った、あの日の青春

以前にも紹介した曲ですが.....。

檸檬れもん)」は、さだまさし作詞(詩)作曲で、1978年3月25日にリリースしたアルバム『私花集アンソロジィ)』に収録されている。

その後、1978年8月10日にシングル化された。

(シングル盤では渡辺俊幸による新アレンジになっている)

この歌を聴いていると、どうしても思い出す文学作品がある。

梶井基次郎の小説「檸檬」だ。

主人公は京都の街を歩き、丸善に入り、一個の檸檬を手にする。

その鮮やかな黄色に心を奪われ、画集などを積み上げた上に檸檬を置く。

そして、

この檸檬が爆弾だったら……

そんな、ちょっと悪戯っぽい想像をしながら、その場を立ち去る。

憂鬱な気分を抱えていた主人公にとって、檸檬は小さな爆弾であり、心を解放してくれる存在だった。

 

さだまさしは、この文学作品の舞台を京都から東京・御茶ノ水へ移した。

湯島聖堂、聖橋、電車――。

そして歌の中では、二人の青春の時間が流れていく。

印象的なのが、

喰べかけの檸檬(盗品)聖橋から放る

という場面だ。

なんとも大胆な青春である。

しかし、この歌は単なる「檸檬を投げる若者の歌」ではない。

後半になると、投げるものが変わる。

檸檬ではなく

喰べかけの夢

なのだ。

檸檬を投げることは、ちょっとした悪戯だったのかもしれない。

でも「喰べかけの夢」を投げるとなると、話は違う。

それは、二人で見ていた夢や、若かった頃の時間を、聖橋からそっと手放すことにも思える。

さらに面白いのが、歌の中に登場する「快速電車」と「各駅停車」。

若い頃は、何もかもが快速電車のように過ぎていく。

恋も、夢も、青春も――。

ところが、青春を過ぎた今になって振り返ると、思い出は各駅停車のように、一つひとつの駅に停まりながら蘇ってくる。

そんなふうにも聴こえる。

さだまさしは、この曲が「白線流し」のように社会現象にならないかという希望と不安を抱いていたという。

もし本当に流行していたら、聖橋の下には、全国から投げられた檸檬が転がっていたのだろうか(笑)。

それはともかく、「檸檬」という曲は、聴けば聴くほど不思議な歌だ。

明るい黄色の檸檬が登場するのに、どこか寂しい。

青春の歌なのに、青春そのものよりも、その終わりを感じさせる。

梶井基次郎の「檸檬」では、一個の檸檬が憂鬱な心を吹き飛ばす「爆弾」だった。

さだまさしの「檸檬」では、その檸檬が、恋や青春や夢の象徴になっている。

そして、最後にはその「」まで聖橋から放ってしまう

 

若い頃には、何気なく聴いていた歌だった。

けれど、歳を重ねてから聴くと、歌の中にあった「青春の終わり」が、少し違って見えてくる。

 

あの頃は、檸檬を投げていた。

今は、遠い記憶をそっと眺めている。

そう考えると、「檸檬」は青春の歌というより、

「青春を思い出すための歌」

なのかもしれない。

ここが、さだまさしの「檸檬」の舞台になった風景、今も電車は、あの頃と同じように走り続けている。

久しぶりに聴いた「檸檬」は、昔と同じように爽やかだった。

ただ、その黄色が、少しだけ切なく見えた。

 

「檸檬(れもん)」/さだまさし

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81年目の夏、「防人の詩」に耳を傾ける

戦後81年、

今日は終戦の日

静かに手を合わせ、平和について考える一日である。

そんな今日、ふと思い出したのが、さだまさしさんの名曲「防人の詩」だ。

海は死にますか 山は死にますか

あまりにも有名な、この問いかけ。

初めて聴いたときから心に残っていたが、歳月を重ねるほど、その言葉の重さが増していくように感じる。

海も、山も、そして人も――。
戦争は、かけがえのないものを容赦なく奪っていく。

命とは何なのか。
人は何のために生きるのか。
そして、平和とは何なのか。

防人の詩」は、戦争の悲惨さを声高に訴えるというより、静かな問いを私たちに投げかけてくる。

81年という長い年月が流れた。

今、私たちが何気なく笑い、食事をし、好きな音楽を聴き、明日の予定を考えられる。
そんな当たり前の日常こそ、決して当たり前ではないのだと思う。

戦争を知らない世代が増えていく今だからこそ、忘れてはいけない記憶がある。

今日くらいは、少しだけ立ち止まって。

防人の詩」に耳を傾けながら、
平和な明日が、これからも続いていくことを願いたい。

そして、この穏やかな日常を、次の世代へ手渡していきたい。

 

防人の詩/さだまさし

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汗知らず(あせしらず)の思い出

今日の読売新聞のコラム「ぷらざ」を読んでいたら、タイトルにある「」よりも先に、「天花粉」という文字が目飛び込んできた。

その瞬間、私は一気に子どもの頃の夏へタイムスリップしてしまった。

我が家では「汗知らずあせしらず)」と呼んでいた。
今では「ベビーパウダー」と言った方が伝わるのだろうけれど、当時はあの丸い大きなパフで、風呂上がりに体へ“バタバタッ”とはたいてもらうのが儀式のようなものだった。
首筋や背中が真っ白になり、甘い香りがふわっと漂う。
あせも対策のはずなのに、なぜか嬉しくて、ちょっと涼しくなった気がした。
扇風機の弱い風、麦茶の匂い、そして天花粉の香り。
あれは間違いなく、昭和の夏の三種の神器だったと思う。
思えば、あの頃の生活には、五感に残り続ける優しさがあった。
母の手の温度、粉の香り、風呂上がりの畳のひんやりした感触。
どれも高価なものではないのに、なぜあんなに豊かだったのだろう。
※ちなみに現代の医学では、汗をかいた肌にそのまま粉をはたくと汗腺が詰まるらしい。
「清潔に拭いてから、薄くつける」が正しい使い方とのこと。そう言えば昔の私は厚塗り派だった(笑)。

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ドナウ川からマンモスの骨

昨日の雷雨は凄かった。

千葉では被害も出ているようで、昨日は胸のざわつく時間が続いた。
ちょうど市川市に住む息子夫婦が来ていて、夕食を済ませ「そろそろ帰ろうか」と言ったところに、千葉レベル5の警報
泊っていけばと言いながらも、翌日から京都の嫁の実家へ行く予定があり、悩んだ末に20時30分過ぎの電車で帰っていった。
電車はノロノロ運転で、途中の空気も重かったようだが、無事に帰宅できたとの知らせに胸をなでおろす。

そして今日の空は青空が広がっている。

ただし予報では、午後から雷雨となるようだ。 

ドナウ川からマンモスの骨が出現。このニュース、手放しで喜べないのは私だけ?

ドナウ川」から「マンモスの骨」が姿を現したという記事を見て、思わず二度見してしまった。

ヨーロッパを流れる大河が、記録的な猛暑と干ばつで干上がり、川底から太古の遺物が顔を出したという。

氷河期の「マンモスの骨」がきれいな状態で残っていたと聞けば、確かにロマンを感じる。

すごいなあ」と素直に胸が高鳴る。

 

でも、同時にすごく複雑な気持ちになった。
だってこれ、裏を返せば「それだけ地球の温暖化や異常気象が深刻」ということでもあるからだ。

記事によると、「マンモスの骨」だけでなく、「第二次世界大戦中に沈んだドイツ軍の軍艦」まで次々と姿を現しているのだとか。
本来なら水の下に眠っているべき歴史の影が、現代の「異常な暑さ」によって無理やり引っ張り出されたような、なんとも言えない不気味さがある。

歴史的な大発見にワクワクしつつも、私たちの未来の地球は大丈夫なのだろうかと、背筋が少し寒くなる記事だった。

参考

発見された場所:ブルガリア北部のドナウ川流域
見つかった部位:若い個体とみられるマンモスの下顎骨、牙、肋骨、肩甲骨など(保存状態は良好)
同時に見つかっているもの:セルビア近くの川底から、第二次世界大戦中の1944年に撤退するドイツ軍自らが沈めた軍艦

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「50年目の『しみじみおいしい』

今朝は雲り空で始まり、時間が経つにつれて霧雨になったり、急に強い雨が降ったり止んだり。
そんな天気のせいか、これといった話題も乏しい……。
というわけで、今日も新聞ネタから(笑)。​​

 

読売新聞の読者投稿コラムで「ぷらざ」に、思わず二度見してしまう記事が載っていた。

77歳の女性の投稿で、タイトルはなんと——

「結婚して半世紀 初めて味覚一致」

濃い味好きの奥様と、薄味派のご主人。
新婚当初から奥様は夫に合わせて薄味を心がけ、長年すり合わせてきたものの、
結婚50年を過ぎてようやく「高野豆腐の含め煮」を食べた時に、
夫婦そろって「しみじみおいしい」と完全一致した……という心温まる話だった。

ただ、正直なところ——
「半世紀連れ添って“初めて”一致って、本当!?」  
と、思わず声が出そうになった(笑)。

​50年といえば半世紀。

その間ずっと、どちらかが「本当はちょっと違うんだよなぁ」と思いながら、
毎日の食卓を囲んでいたのだろうか。
そう考えると、お互いの配慮と我慢の積み重ねに頭が下がる。

我が家の場合はというと、
長年暮らすうちに自然と似てきたというか……
どちらかがどちらかに“慣らされた”というか(笑)。
気づけば、まあだいたい同じ方向を向いている。

食の好み」は毎日のことだけに、
長く連れ添う上では案外大きなテーマなのかもしれない。

たった一皿の高野豆腐で「初めて一致した」と喜べるご夫婦の絆に感心しつつ、
半世紀の我慢強さに脱帽した朝だった。

 

しずかな雨音と新聞の余韻に寄り添うように、

今日は「主人公」を流している。

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夕刊で知ったメロン騒動と、英語スラングの意外な意味

台風15号は、幸い我が家の周辺では大きな被害もなく通り過ぎていった。
ただ、過ぎ去った今朝も雨が降ったり止んだり。
その合間を縫って、庭の芝刈りを済ませたところだった。

ひと息ついて夕刊を広げると、ある見出しが目に留まった。

高市氏贈ったメロン 性的ジョーク物議

……メロンが?性的ジョーク?
正直、最初は意味が分からず、首をかしげてしまった。

記事によると、オーストラリアのアルバニージー首相が、日本の高市首相から贈られたメロンを巡って、ポッドキャスト番組内で不適切な発言とジェスチャーをしたという。
彼女はメロンを2つ持ってきてくれた」と言いながら、胸の前で丸い形を示すような動きをしたらしい。

なぜそんなことを?と思い、少し調べてみてようやく腑に落ちた。

英語圏では、フルーツの “melons” が女性の胸を指す俗語(スラング)として使われることがあるのだという。

つまり、首相はそのスラングを踏まえた“下品な冗談”を、外交の文脈でやってしまったわけだ。

当然ながら、オーストラリア国内でも
日本の首相に対して失礼だ
公人として品位を欠く
と大きな批判が巻き起こっているとのこと。

新聞の短い記事だけでは「なぜメロン?」と謎だったが、背景にはこうした文化的なスラングが潜んでいたわけだ。

ちなみに贈られたのは、

静岡県産の最高級 「クラウンメロン」
一本の木から一玉だけを育てる、農家さんの技と手間が詰まった日本の誇る果物だ。

そんな丁寧な贈り物が、海外で下品なジョークの材料にされてしまったと思うと、
日本人としても、そして「メロン」好きとしても、なんだか残念な気持ちになる。

雨間の芝刈りのあとに読んだ夕刊で、まさかメロンの“意味”を学ぶことになるとは思わなかった(笑)。
世の中には、知らない文化の落とし穴がまだまだあるものだと、しみじみ感じた夕暮れだった。

ちなみに、このスラングを知っている日本人は多いのかな?

と、少し気になったが、どうやら知らない人のほうが圧倒的に多いらしい。

私だけが無知だったわけではないと分かり、ちょっとホッとした(笑)。

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富士山、ひまわり、そして台風前の風の中で

台風15号の影響で、午後からは「」の予報。

では、その前に軽くポタリングとしよう。

9時となり出発。

当然ながら(笑)いつものコースへペダルを踏みこむ。

しばらく走って、左手に目を向けると、雲の切れ間から「富士山」が顔を覗かせていた。

こんな天気なのに...。

そう言えば、最近は姿を見せていなかった気もする。 

先に進むと、久々の再会が嬉しくて、また撮ってしまった(笑)。

撮らずにはいられない”あのエリア”へ。

この先でも「富士山」は静かに佇んでいた。

そして、いつもの「伊佐沼」。

何気に「」が強くなって、水面には細かな波が立ち始めていた。

続いて、先日見た伊佐沼東岸ひまわり畑」の隣の畑見頃を迎えていた。

今夜から「風雨」が強まるので倒れてしまうのだろうか。

今日が”見納め”だったりして.....。

ポツリと「」が降ってきたが、すぐに止んだ。

では帰ります!!

道中は少しだけ遠回り。

見掛けて撮った花は、「ヤノネボンテンカ」、「ランタナ」。

そして「タカサゴユリ」。

また、ポツポツと.....。

帰宅するとサイコ ンの走行距離 55.45㎞を示していた。

結局、今日も「ひまわり」を見ただけ(笑)

今夜から大雨と強風になるだろう?

その前に、夏の名残を少しだけ拾い集めたポタリングとなった。

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ちからをください/八月に咲く花と祈り

暑さがぶり返したこともあって、ここ三日ほど家籠もりが続いている。
明日あたりから気温は落ち着くようだが、台風15号の影響でしばらくは雨模様らしい。
そんなこともあって、今月はもう自転車に乗れそうにない気配さえ感じている。

さて、サボテン 短毛丸 がまた咲いた。
いったい今シーズン何回目だろう。
最低でも五〜六回は咲いた気がする。

こうして毎度律儀に咲いてくれるのを見ると、外に出られない日でも少し救われる。

今日もこれといった話題がないので、曲の紹介でも。


さだまさしの「ちからをください」。

2005年9月7日に発表したアルバム「とこしえ」に収録されている一曲だ。(作詞・作曲:さだまさし)

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戦後60年という節目の年に生まれた作品で、

ここで求めている「」とは暴力ではなく、平和を真の意味で侵されない為に必要な”心の力”の比喩だとされている。

歌詞全体を貫くのは、
どうか、平和を壊さないための勇気と知恵を」  
という静かな祈りのような願い。

誰かを倒すための力ではなく、

誰かを守るための力でもなく、

争いを生まないために必要な“内側の強さ”。

そうしたニュアンスが、さださんらしい柔らかな言葉で綴られている。

 

今年もまもなく終戦記念日がやってくる。
毎年この時期になると、静かに立ち止まって、
平和とは何か」「守るべきものは何か」を考えさせられる。
さださんの「ちからをください」に込められた
争いを生まないための内側の強さ”という願いは、
この季節の空気とどこか響き合う。
短毛丸が何度も咲いてくれたように、
人の心にも、そっと咲き続ける強さがあればいい──

 

ちからをください/さだまさし

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ちからをください どうぞちからをください
大切な人を護るため もっともっともっともっともっと
ちからをください
大切な笑顔があります
大切な心があります
大切な未来があります
大切な夢があります
小さなこの手であなたを支え
自分を支えるささやかな

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81年目の夏、静かな祈りを胸に

8月9日。

今から81年前の今日、長崎原子爆弾が投下された。

この時期は、一際強い日差しや セミの声を聞くたびに、歴史の重みと平和の有り難さを深く考えてしまう。

今日の読売新聞のコラム「編集手帳」で、徳島県光泉寺にある夫婦の墓碑の話が載っていた。
そこに眠るのは、外科医の三宅速(はやり)さんご夫妻。
渡航中の船でアインシュタインを診察したことが縁で親交が生まれたというから、なんだか映画みたいな話だ。

しかし三宅医師は、戦争末期の空襲で命を落としてしまった。
アインシュタインが贈った追悼の言葉には、こんな一文が刻まれている。

彼らは共に人類の幸せのために尽くし、そして、共にその人類の過ちの犠牲になって逝った

人類の過ち」という言葉は、原爆開発に関わることになったアインシュタイン自身の痛恨も含んでいるのだろう。
科学の力が人を救うこともあれば、悲劇を生むこともある──その重さが胸に落ちる。

長崎といえば、永井隆博士の姿が思い起こされる。
深く負傷しながらも被爆者の救援に奔走した博士の手記『長崎の鐘』には、こんな叫びがある。

原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ、戦争をやめよ

最近では『長崎の鐘』の翻訳版が外国人旅行者にもよく読まれているらしい。
国境や言葉を越えて、あの日の悲劇と平和への願いが伝わっていると思うと、少し救われる。

世界では今も戦火が絶えず、核の威嚇なんて物騒な言葉まで聞こえてくる。
だからこそ、過去の犠牲を「昔の話」で終わらせず、平和の尊さを心のどこかに置き続けることが大事なのだと思う。

青空の下でそっと手を合わせながら、
どうかこれからの世界が穏やかでありますように」と願った一日だった。


──今日は、ちょっと真面目になりすぎたかも(笑)

 

過去への想いと、これからの世界への願いが、静かにひとつに溶けていくような曲。

祈り/さだまさし

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「888」がそろう日、末広がりの入籍ラッシュ

今日も暑くて、家に籠もるしかない一日。
それでも暦を見れば、今日は特別な「8」が三つ並ぶ縁起の良い日
令和「8」年、「8」月「8」日――まさに「888」が揃うトリプルラッキーデー
 
漢字の「」は末広がりで未来が開けるとされ、古くから縁起の良い数字として親しまれてきた。
 
その「」が三つも重なる今日という日は、結婚を迎えるカップルにとって、これ以上ない記念日になったようだ。
 
全国の自治体では、朝から婚姻届を手にしたカップルで行列ができる「入籍ラッシュ」が起きているらしい。
 
例えば、東京都の大田区役所では、なんと朝から約100組ものカップルが列を作ったそうだ。
区の予定を30分前倒しして午前9時半から受付を始めるという、異例の対応となったという。
職員の方々に祝福されながら、記念ボードの前で「8」のバルーンを持って笑顔で記念撮影をする男女の姿がとても印象的だった。
先頭に並んだカップルは、「この日に提出しようと2人で決めていた。忘れられない記念になった」と満面の笑みで話していたようだ。
 
結婚という人生の大きな節目に「8」が選ばれる理由は、数字そのものが持つ願いの形にもある。

 漢数字の「」は、下に向かって広がることから「未来が開ける」「繁栄する」という意味がある。

8」を横に倒すと、無限を意味する「」のマークになる。

二人の愛が永遠に続くように」と願いを託すにはこれ以上ない数字だ。

これだけ綺麗なゾロ目なら、毎年の結婚記念日を絶対に忘れる心配もない。

まさに一生の思い出に残る「末広がり婚」。
今日入籍されたたくさんのご夫婦の未来が、文字通り末広がりに幸せで満ち溢れることを心から願いたい。
 
本日入籍されたみなさん、本当におめでとうございます!

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「インドネシアで『のび太』や『スネ夫』が人気って本当?

昨日から、猛暑がしっかり復活。
外へ出た瞬間に、夏が「まだ終わらないよ」と主張してくる。
サルスベリ」の濃いピンクも、この暑さを味方につけてさらに元気に咲いている。

今日の読売新聞で、とても興味深い記事を見つけた。

なんと、インドネシアでは、自分の子供に「日本のマンガやアニメのキャラクター名」をつける親が多いというのだ。

​住民登録当局のデータによると、特に人気なのは『NARUTO -ナルト-』の主人公に影響を受けたと思われる「うずまきナルトで、なんと190人もいるのだとか!

ONE PIECE』の「ルフィ」も79人いるらしい。

ここまでは「まぁ、かっこいいし分かる」と納得できる。

 

しかし、記事を読み進めうと、思わず二度見してしまう名前が並んでいた。

のび太:181人

ドラえもん:16人

スネ夫:8人

​……えっ、「スネ夫」!? 「のび太」!?

日本でもアニメやマンガをヒントに子どもの名前をつける親御さんは珍しくないが、さすがに「のび太」や「スネ夫」と名付けるケースはまず聞かない。

なぜインドネシアではこれらの名前が選ばれるのでだろうか?

理由は至ってシンプルで、「日本語の意味やニュアンスが直感的に分からない」からだと思う。

多くの​日本人なら 、「のび太」と聞けば『勉強や運動が苦手でなまけもの』、「スネ夫」と聞けば『骨川スネ夫、ひねくれ者、金持ちの腰巾着』といったキャラクターの性格や日本語の響き(拗ねる等)のイメージが真っ先に浮かぶ。

しかし、​現地の人々にとっては、

単に「日本で大人気の可愛いアニメのキャラクター」「響きがキャッチーで耳に残りやすい名前」としてポジティブに受け取られているのだろう。

​私たちが外国語の響きだけで「なんかスタイリッシュでかっこいいな!」と感じて、「Tシャツの英字プリント」を選ぶ感覚に近いのかもしれない。

​日本のポップカルチャーが国境を越えて愛されているのは日本人として誇らしい反面、意味を知っている立場からすると「成長した時に本人が意味を知ったらどう思うんだろう…?」と、ちょっと余計な心配をしてしまう(笑)。

​もし自分がインドネシアに行って「俺、スネ夫!」なんて自己紹介されたら、ツッコんでいいのか本気で悩みそうだ。

​カルチャーギャップって、本当に面白い。

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完璧じゃない言葉のあたたかさ

 8月5日の読売新聞「気流」に、

チャッピー(ChatGPT)に相談してみようかな」 という締めの軽妙さに、思わず笑った。

最近はAIの「チャッピー(ChatGPT)」に尋ねれば、疑問は瞬く間に整理され、整った文章まで作ってくれる。

誤字も脱字もほとんどなく、論理も破綻しない。

便利な時代になったものだと、つい感心してしまう。

ところが、その便利さの裏側で、ちょっとした“人間らしさ”が恋しくなることもあるらしい。

大学教員の投稿者は、学生のレポートを採点していて、誤字や脱字があると妙に安心するという。

生成AIが当たり前になった今、「ああ、自分の頭で書いたのかな」と感じるからだそうだ。

少し前まで誤字脱字は減点対象だった。

それが今では、「人間が書いた証拠」のように映る。

時代が変わると、評価の物差しまで変わってしまうものらしい。

もちろん、誤字脱字を推奨するつもりはない。
文章は正確なほうが読みやすいし、伝わりやすい。

でも、ときどき言葉に迷った跡や、その人らしい言い回しに出会うと、「この人が書いた文章なんだな」と、どこか温かさを感じることがある。

AIには完璧な文章を書いてもらえる。

けれど、読んだ人の心に残る文章は、案外「少しだけ不完全」なところに宿っているのかもしれない。

私のブログにも、ときどき変な誤字脱字もある。
味がある」と言われれば聞こえはいいが、ほとんどは老眼と変換ミスの合作(笑)。

気が付いたら、後でそっと直しているけれど(笑)。

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検診帰りのひまわり畑


今日は眼科の定期検診日。

結果は「特に問題なし」。

この一言だけで、帰り道の足取りが少し軽くなる。

せっかくなので、どこか寄り道でも……と思った瞬間、 ふと「ひまわり、咲いているかな?」と頭に浮かぶ。

こういう思いつきに従うのが、ポタリングの醍醐味(笑)

ゆるゆるとペダルを回しながら走っていると、 突然、視界いっぱいの黄色が広がった。

まさかの ひまわり畑、発見。

背丈ほどのひまわりが、
まるで「よく来たね」と言わんばかりに
一斉にこちらを向いている。
夏の光をまっすぐ受け止める姿は、
見ているだけで気持ちが明るくなる。

何枚か写真を撮って、早々に退散。
ほんの短い寄り道だったけれど、
検診帰りに見つけた夏” という感じで悪くない。

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三日続きの涼風に誘われて

三日連続で、秋の入口を思わせる涼しい朝を迎えた。

最高気温も真夏日には届かない予報で、空気の質がどこか軽い。

昨日は見事な「ひまわり」を眺めて「今日は休輪日にしようか」と思ったものの、こういう涼しさは逃すと後悔する

結局、いつものように“勿体ない精神”が勝った(笑)。

明日は「眼科」の定期検診。

さらに、お酒のストックも底をつきつつある。

ならば、仕入れがてら近場をサクッと走るのがちょうど良い。

10時となり、ゆるりと出発。

ペダルを回す足取りは軽い。

秋ヶ瀬橋」袂の土手で一枚。

奥に見えるのは「秋ヶ瀬取水堰」。

荒川で最も下流に位置し、河口から約35キロ地点にあるという。

こうして眺めると、ただの堰ではなく、川の暮らしを支える“節目”のようにも見える。

橋を渡って、「彩湖・道満グリーンパーク」へ。

「水辺のステージ」付近は、今日も穏やかな空気が流れている。

毎度お馴染みの「彩湖の碑」に挨拶代わりの一枚。

来た証として、これを撮ると気持ちが整う。

フラワーガーデン」では、「ポーチュラカ」や「ブルーサルビア」が色とりどりに咲き誇り、夏の名残と秋の気配が同居していた。

サンゴジュ」の赤い実も、陽を受けて艶やか。

季節の移ろいは、こういう小さな色の変化に宿る。

管理橋」を渡って、「さくら水門」先で再びパチリ。

奥には「秋ヶ瀬橋」。

秋ヶ瀬公園」を抜け、荒川上流を望むと、風の匂いが昨日より少しだけ夏寄りに感じた。

気温も、昨日よりは暑い気がする。

右岸へ渡り、帰路へ。

道端には「ナツズイセン」がひっそりと咲いていた。

淡い色合いが、季節の端境期に似合う。。

しばらくは走りに集中していると、「キツネノカミソリ」の群生地が目に留まった。

オレンジ色の花」が林床に点々と灯るようで、思わず減速して見入ってしまう。

今日の「メインイベント」、酒屋へ、いつもの一本を仕入れ、これで今夜も安心(笑)。

帰宅すると、サイコンは37.25㎞を示していた。

数字が示すのは距離だけれど、今日もまた季節のひと欠片を積み重ねた。

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バープレ騒動と息子の優しさ

8/4の読売新聞の読者投稿コラム「ぷらざ」から

みなさんは、「タンプレ」という言葉をご存じだろうか。

私は……恥ずかしながら、まったく知らなかった(笑)。

どうやら「誕生日プレゼント」の略語らしい。

今日の読売新聞ぷらざ」に、思わず笑みがこぼれるエピソードが載っていた。

誕生日を祝ってくれた息子さんへ、お母さんがLINEで「バープレありがとう」とお礼を送った。

バープレ」は「バースデープレゼント」のつもりだったのだが、息子さんは「婆(ばあ)さんへのプレゼント」のことかと思い、「???」となったという。

なんでも略せばいいというものではない……と思いつつ、この勘違いがきっかけで会話が弾み、楽しい誕生日になったそうだ。

しかも、プレゼントは、お母さんが以前「欲しいな」とつぶやいていた車用のサンシェード

何気ないひと言をちゃんと覚えていてくれた息子さんの優しさに、心が温かくなった。

言葉は略しすぎると伝わらないこともある。でも、相手を思う気持ちは、ちゃんと伝わるものなのだろう。

さて、私ももうすぐ誕生日である孫に向かって「タンプレあげる!」なんて言ってみようか。

……「何それ?」と返されそうな気もするけれど(笑)。

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